カリノ界隈

フリーライターカリノのブログです。

占いが気にならなくなった

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自分の文章が何に影響を受けているだろうと考えてみた。

 

氷室冴子稲葉浩志夏目漱石村上春樹室生犀星宇多田ヒカル二階堂奥歯穂村弘川上弘美江國香織古川日出男、数えきれないほどの小説、漫画、歌、映画。

 

影響を受けたと言うのもおこがましいけれど、でも、どれも私をかたちづくっている要素であるのは間違いなくて、でも、もっと何かあるような気がして。

 

それで、よくよく考えてみた結果、文章というものに夢中になった一番古い記憶が「占い」だった。

 

それは父がくれた1冊の占いの本だった。星占いの本。

私は水瓶座で、そのページには「自由で創造的で独創的」と絵本にはない言葉が並んでいて、傍らには人の輪から外れて静かに笑う少女のイラストが描かれていた。

子どもだった私は、その言葉を繰り返し読み、その本を素直に信じて、自分という人間がそのようなものであるのだと思った。

あの本は、私の言葉や文章にというよりも、私そのものに深い影響を与えた。

そして、言葉や文章を生んでいるのは、私そのものだ。

 

そんな風に振り返ってみてたら、あれ?私、近頃占いを気にしなくなってる、って気がついた。

その星占いの本をはじめとして、幼いころからずっと占いが好きだった。

そこに並べられる言葉やイメージや未来に、いつも夢中になっていた。

でも、大人になった今、占いをちょっとでも気にかけるのは、年に1度きりだ。

 

なんでだろうと考えてみる。

たぶん、私は、先がわからないことに我慢ならなかった。

先が見えないことがとても恐ろしかった。

ずっとずっとそうだった。

だから、物語を読む時も、最初の1度目は早く終わりが知りたくて、走り抜けるように読んだ。

そして、結末がわかると、やっと安心してゆっくりと物語を味わうことができるのだ。

同じように、幼い頃の私の前には、ちっとも先の見えない長い長い道だけがあって、私はそのわからなさが不安で、あるいは楽しみで仕方なくて、何か少しでも手がかりがほしくて、それであんなに占いを読みふけることになったんだと思う。

 

20代の頃だって、そうだった。

私は一体どうやって死ぬんだろう。

そんなことばかり考えていた。

死にたいわけじゃなくて、ただ知りたかった。

最期さえわかれば、私は安心して、もっと上手に、誰よりも上手に生きることができるのになって、思っていた。

 

だけど、こうして40手前になってみると、私の人生は、もう長くて今までと同じくらいしかなくて、予測もつかないことも、もう起こらないだろうと考えている。

いや、予測もつかないことは間違いなく起きると予測しているので、もう、何が起きても、あんまり怖くないのだ。

ただ、家族だけが笑ってくれていれば、あとのいいことは全部おまけみたいなものだと感じているし、どんなにわるいことも私は乗り越えるしかないと知っている。

 

そう考えて、だから、私にもう占いは必要ないんだと腑に落ちた。

その薄毛、治ったらどうするの?

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こんにちは。

キャリアライター/キャリアエッセイストのカリノです。

 

ちもんさんが抱える自己矛盾

ライターとして活動を始めて以来、同じライターの方々と交流しています。

みなさん、個性豊かで、仕事に一生懸命で素敵な方々。

日々、刺激を受け、勉強させてもらっています。

 

その中のお一人で、とりわけ光を放っているのが、ちもんさん。

sbtimon.hatenablog.com

 

ご自身の薄毛を武器に、薄毛についての記事を書かれています。

ユーモアにあふれ、自分への笑いと相手への敬意を欠かさないお人柄、時折見せる冷静な視線と隠しきれない情熱が魅力的なライターさんです。

そんなちもんさんファンの私ですが、常々彼に聞いてみたいと思っていることが3つあります。

 

・素敵な奥様とはどこで出会われたのですか?

・シャンプーと洗顔料はどのラインで使い分けるのですか?

・その薄毛、もし治ったらどうするのですか? 

 

特に3つ目の質問。

(ちなみに2つ目の質問は、私が会社員時代に飲み会で薄毛の部長に対して実際に発したもので、結果、本社から現場に飛ばされたといういわくつきのものです。)

ちもんさんは執筆した薄毛記事を公開してないので(してたらすみません)、私はその記事を読んだことはないのですが、きっと化学的知識とご自身の経験を活かして執筆されているんだと思います。

 

ということは、ご自身もいろいろな薄毛対策をされているということですよね?

でも、「現在も薄毛である」ということはその対策は効果万全というわけではないということですよね?

でも、読者に対して一番説得力があるのは「ハゲだった僕がフサフサに!」という結果ですよね?

でも、フサフサになっちゃったら、「自らが薄毛」という武器がなくなってしまうということですよね?

フサフサ後、しばらくはその成果のおかげで書くことに説得力は生まれるかもしれませんが、現役だからこそ持つ経験のリアルさ、もしかしたら情熱なんてものも、薄れていくかもしれませんよね?

 

ちもんさん自身は、こういった自身が持つ矛盾(?)のようなものをどう考えているのか、お聞きしたいなあと思っているわけです。

 

 

あと「婚活歴10年」の人とかもね。

説得力、あるんだかないんだか。

卒業した方がいいんだか、わるいんだか。

 

自分自身と書き手としての自分

 

おそらく、ちもんさんは、今現在「薄毛である自分」というものを前面に出したものを執筆しているわけではないと思うので、全然気にしないというのもアリでしょう。

実際、フサフサ薄毛ライターさんもいらっしゃることと思います。

でも、ちもんさんは、いずれご自身の薄毛キャラを押し出したものをお書きになりそうな気がするので(もう書いているのかな?)、このあたりどうなのかなあと興味本位に思ってる次第です。

 

 

今後、「何が」書かれているかではなく、「誰が」書いているのかが重要になってくる。

そんなことをあちこちで目にしたりするので、「自分」と「書き手としての自分」との関係性に、よく思いをはせてしまいます。

この「誰」というのが、完璧に「=(イコール)自分」と設定できて、必ず発生する自分の「うつろい」というものも含めて、読者に求めてもらえるならいいだろうけどなあと。

 

そんなことを、ちもんさんをダシにつらつらと考えました。

ちもんさん、ごめんね!

これは、いわゆる ”Webライター” としての話とはちょっとずれているとも思うのですが。

考えるのが楽しいので、また考えようと思います。

 

自分のお葬式を想像すれば生き方が見えてくるんだって

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こんにちはキャリアカウンセラー/キャリアエッセイストのカリノです。

 

祖父の葬儀でみんなが言った言葉

 

私には10歳年下の夫が1人いて、とても可愛がっております。

彼のおじいちゃんは、数年前、私たちが結婚して少ししてから亡くなりました。

お酒が大好きな人なのに、下戸の家族に囲まれていたので、酒好きの孫嫁である私のことをとても可愛がってくれました。

いつもニコ二コ笑っている、優しいおじいちゃんでした。

病気で亡くなりましたが、長く患うことなく、静かで穏やかな最期だったと思います。

 

そんなおじいちゃんのお葬式。

これまで会ったことのない、たくさんの親戚が参列しました。

火葬場に移動し、骨上げまでの時間、私も彼女たちの輪に加わり、故人についての思い出話に耳を傾けました。

若い人のお葬式とちがって、参列する方々も、一通り悲しんだ後は、ほがらかな表情を見せています。

そんな中で語られるおじいちゃんは、私のイメージとは全くちがう男の人でした。

 

「いやー、ほんとあの人ときたら色男だったわね」

「ほんとほんと、どれだけヨリちゃん(祖母)を泣かせてきたことか」

「あと40年死ぬのが早かったら、葬式が修羅場になってたね」

 

どうやら若かりし頃のおじいちゃんは、ずいぶん破天荒なキャラだったようです。

これがもっと身近な、自分の父親だったりしたら、私も複雑な気持ちになったのでしょう。

でも、義理の祖父という近いようで遠い間柄のためか、最初は「おじいちゃん、天晴」と微笑ましい気持ちで話を聞くことができました。

ですが、口さがないおばさまたちのお話は途切れることがなく、あまりにも赤裸々なお話に、だんだんと困惑の気持ちが浮かび始めます。

私は、おじいちゃんの妻、おばあちゃんの小さな肩をそっと支えながら、「疲れたでしょう、あっちに行こう」とその場を離れることを促しました。

けれどもおばあちゃんは、にっこりと笑って、こう言ったんです。

「いいの。おじいちゃんはきっとこんな風に言われたかったの」

 

あなたの遺影を囲みながら、みんなにどんな話をしてほしいか

 

完訳 7つの習慣―人格主義の回復

完訳 7つの習慣―人格主義の回復

 

 「ビジネス書の古典」とも言える「7つの習慣」という本の中に、こんな質問があります。

 

自分のお葬式で、みんなに何と言われたいですか?

 

その言葉はあなたの人生のヒントになります。

そんな風に言われることを目標に、毎日の生活を送っていけばいいのです。

 

あなたはこの質問になんて答えますか?

私は数年前から、「面白い人だった」と言われたいと考えていました。

実際、「かわいい」とか「仕事ができる」と言われるより(あんまり言われないけど)、「面白い」と言われる方が、ずっと嬉しく感じます。

もちろん他の褒め言葉も嬉しいんですが、なんていうか、自分の存在をまるごと認めてもらったような深い満足感があるんですよね。

 

でも、ほんのちょっとだけ、自分の気持ちとズレがあったのも事実なんです。

「面白い」でいいんだけど、もう少し、こう、なんか微妙なニュアンスが足りないんだよなぁ。

その答えが見つからないまま、ひとまず「面白い人間だったと思われるような人生を送ろう」と私は考えてきました。

 

だけど、ついこの間わかったんです!

この少しのズレを埋める言葉が見つかったんです!

 

この1月、同じライターの方々と勉強会をしました。

そこで、それぞれがお互いにどんなイメージを抱いているか、意見交換をしたのです。

そこでライター仲間の七尾なおさんに言われた言葉が、私の新しい人生の指針になりました。

 

「カリノさんて、なんかお茶目」

 

お茶目! 

この言葉を聞いた瞬間に、わかりました。

私はもっと「お茶目」と言われたいと。

 

この言葉には「面白い」にはない、愛され感とか、ちょっと抜けた感じとか、そこはかとないセクシーさとか(?)、私が求めているものが全部含まれている気がしました。

その日から、私の人生は「お茶目と言われたい人生」になったんです。

 

言葉って不思議ですよね。

ピタッとはまる言葉を見つけた途端、これまでモヤモヤとしたイメージに過ぎなかったものが、クッキリと姿を現してくれるんですから。

 

キャリアライター/キャリアエッセイストという言葉を閃いた時も、「ライターはライターだし、仕事について書くことがメインでまちがいないんだけど、その周辺のものもコミコミにしたもう少し懐の深い感じ」という、実に曖昧なイメージが、自分の中で鮮明な像になるのを感じました。

 

だからみなさんも、ぜひ自分のお葬式で言われたいことを言葉にしてみてください。

「みんなが集まって何となく褒めてくれてる」というようなボンヤリしたものでなく、「これ!」って思えるピッタリした言葉を探してみましょう。

自分がどんな人生を送りたいと思っているか、もっとクリアになると思いますよ。

 

幸せなおじいちゃんと幸せな私

おじいちゃんはきっと色男と言われたくて、色男として生き、最期まで色男と言われた幸せな人生を送ったのだと思います。

たくさん泣かせたくせに、そんな人生を静かに肯定してくれるおばあちゃんと一生を共に過ごせたのだから、幸せでないわけがありません。

 

そのおじいちゃんの孫の嫁の私。

楽しそうに思い出話に花を咲かせるおばさま方に「ゴロウさん(夫)もおじいちゃんによく似てるから心配です〜」と話したら、「何言ってんの!あんなもんじゃないわよ!おじいちゃんはもっともっとずっといい男だったわよ!」と言われました。

 

そんなかわいそうな男の妻ですが、私からすれば夫も十分にいい男なので、私もまずまず幸せだと思っています。

 

これからもお茶目で幸せな人生を送れるよう、頑張っていきたいなあと思いながら、日々を生きています。

 

「君は石田ゆり子に似ている」と村人Aは言った

   

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こんにちは。

キャリアライター/キャリアエッセイストのカリノです。

改め、石田ゆり子に似ている」キャリアライター/キャリアエッセイストのカリノです。

 

あ!やめてやめて!

ディスプレイに石を投げないで!!

 

…すみません。

顔出ししているブログで、よくもまあ嘘八百を言えたもんだと自分でも思います。

思いますが、これには、深くもありませんがそれなりの理由があるのです。

どうぞ続きをお読みください。

 

「村人A」の一言が世界を救うこともある

kaishayameruzo.com

 

会社やめたろーさんが、ご自身のブログですごく素敵なことを言っていました。

「村人A」が 

なんかぁ〜井戸のところにピカピカ光る綺麗な石があったんすよねぇ〜www

みたいな、なにげない日常をブログにアップしたら、それを勇者が偶然見かけて「破邪の宝玉」を手にいれて魔王を倒す力を得る、みたいな感じです。

 

私はドラクエの世界で言えば間違いなく「村人A」ですが、ブログにアウトプットすることで、もしかしたら勇者の手助けになるかもしれない。そんな気持ちでブログを続けていこうと思います。

 

とっても上手な表現だと思いませんか?

こんな風に考えられると、勇者になれない自分のことにも誇りが持てる気がします。

 

私にとっての「村人A」の言葉

さらに私は図々しくも、勇者側として語ろうと思います。

 

20代の半ば、長くおつきあいしていた恋人にフラれた私は、彼氏のいない状態が不安で不安で仕方ありませんでした。

それで、好きかどうかもわからない男性と、言われるがままにおつき合いをはじめました。

穏やかで優しい人でしたが、どうしても「友達としての好き」以上の感情を抱けず、1カ月ほどでお別れをします。

それ以来会うこともなく、思い出すこともほとんどない相手です。

とても優しくていい人だった、という記憶はあるものの、正直、もう顔も名前も思い出すことができません

私が私の世界の勇者だとすれば、間違いなく彼は「村人A」なんです。

 

 

でも、顔も名前も思い出せないのに、この十数年、繰り返し思い出す彼の言葉があります。

 

それが「君は石田ゆり子に似ている」

 

どんな流れでこんなセリフが生まれたのか、それももう思い出せません。

でも、彼は、はっきり私にこう言ったんです。大真面目な声色で。

もちろん、私は、今も昔も、石田ゆり子になんて似ちゃいません

当時、この言葉を親友に報告したら、お腹を抱えて大笑いしたあげく、「彼、目ぇ悪いんじゃない?」と言われました。

いつも私を支え、肯定してくれる優しい親友ですが、この時だけは容赦ありませんでした。

そして私も、鏡を見なくても、親友の方が正しいことはよくわかっていました。

 

でも、どういうわけか、この言葉は私の中にずっと残ることになりました。

 

たとえば、夜通し泣いて浮腫んだ顔を鏡に映した朝。

社内報に写真が載って、同僚に「すっごく可愛く写ってたよ!写真うつりいいよね~!」と言われてウキウキしたのに、自分的にはありえないくらいブサイクに写っている写真を見た時。(すっごく可愛くてコレ…!

2ちゃんねるに「〇〇会社の採用担当AさんとBさんが超可愛かった」と私の名前だけ外された書き込みを発見した日。

 

主に容姿にまつわることですが、落ち込んだ時には必ず彼の言葉を思い出していました。

 

「私は石田ゆり子に似ている。いや、似ていないまでも、世界中の人間を石田ゆり子的なものと非石田ゆり子的なものの2つに分けた時、私は石田ゆり子側にいるんだ。」

 

こう思うことで、地に叩きつけられた気持ちも、ほんの少しだけでも宙に浮くことができたんです。

20代での落ち込みなんて、ほとんどが恋愛や容姿にまつわることでしたから、この言葉のおかげで私はなんとかやってこれたと言っていいかもしれません。

 

すでに誰かの「村人A」であること、これから「村人A」になれること

こんな風に、勇者として村人Aの言葉を思い出す私ですが、私が誰かにとっての「村人A」であった可能性も、もちろんあるわけです。

私のことなんてすっかり忘れている誰かにとっても、もしかしたら私の言葉だけは、彼らのどこかに刺さり、いまだに彼らを温めているのかもしれない

そう考えるとほんとに心から優しい気持ちになることができます。

 

そしてこれからも、こうして言葉を置き続ける限り、その可能性は広がっていきます。

その可能性を思うだけで、書き続ける勇気が湧いてくるのです。