カリノ界隈

フリーライターカリノのブログです。

「君は石田ゆり子に似ている」と村人Aは言った

   

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こんにちは。

キャリアライター/キャリアエッセイストのカリノです。

改め、石田ゆり子に似ている」キャリアライター/キャリアエッセイストのカリノです。

 

あ!やめてやめて!

ディスプレイに石を投げないで!!

 

…すみません。

顔出ししているブログで、よくもまあ嘘八百を言えたもんだと自分でも思います。

思いますが、これには、深くもありませんがそれなりの理由があるのです。

どうぞ続きをお読みください。

 

「村人A」の一言が世界を救うこともある

kaishayameruzo.com

 

会社やめたろーさんが、ご自身のブログですごく素敵なことを言っていました。

「村人A」が 

なんかぁ〜井戸のところにピカピカ光る綺麗な石があったんすよねぇ〜www

みたいな、なにげない日常をブログにアップしたら、それを勇者が偶然見かけて「破邪の宝玉」を手にいれて魔王を倒す力を得る、みたいな感じです。

 

私はドラクエの世界で言えば間違いなく「村人A」ですが、ブログにアウトプットすることで、もしかしたら勇者の手助けになるかもしれない。そんな気持ちでブログを続けていこうと思います。

 

とっても上手な表現だと思いませんか?

こんな風に考えられると、勇者になれない自分のことにも誇りが持てる気がします。

 

私にとっての「村人A」の言葉

さらに私は図々しくも、勇者側として語ろうと思います。

 

20代の半ば、長くおつきあいしていた恋人にフラれた私は、彼氏のいない状態が不安で不安で仕方ありませんでした。

それで、好きかどうかもわからない男性と、言われるがままにおつき合いをはじめました。

穏やかで優しい人でしたが、どうしても「友達としての好き」以上の感情を抱けず、1カ月ほどでお別れをします。

それ以来会うこともなく、思い出すこともほとんどない相手です。

とても優しくていい人だった、という記憶はあるものの、正直、もう顔も名前も思い出すことができません

私が私の世界の勇者だとすれば、間違いなく彼は「村人A」なんです。

 

 

でも、顔も名前も思い出せないのに、この十数年、繰り返し思い出す彼の言葉があります。

 

それが「君は石田ゆり子に似ている」

 

どんな流れでこんなセリフが生まれたのか、それももう思い出せません。

でも、彼は、はっきり私にこう言ったんです。大真面目な声色で。

もちろん、私は、今も昔も、石田ゆり子になんて似ちゃいません

当時、この言葉を親友に報告したら、お腹を抱えて大笑いしたあげく、「彼、目ぇ悪いんじゃない?」と言われました。

いつも私を支え、肯定してくれる優しい親友ですが、この時だけは容赦ありませんでした。

そして私も、鏡を見なくても、親友の方が正しいことはよくわかっていました。

 

でも、どういうわけか、この言葉は私の中にずっと残ることになりました。

 

たとえば、夜通し泣いて浮腫んだ顔を鏡に映した朝。

社内報に写真が載って、同僚に「すっごく可愛く写ってたよ!写真うつりいいよね~!」と言われてウキウキしたのに、自分的にはありえないくらいブサイクに写っている写真を見た時。(すっごく可愛くてコレ…!

2ちゃんねるに「〇〇会社の採用担当AさんとBさんが超可愛かった」と私の名前だけ外された書き込みを発見した日。

 

主に容姿にまつわることですが、落ち込んだ時には必ず彼の言葉を思い出していました。

 

「私は石田ゆり子に似ている。いや、似ていないまでも、世界中の人間を石田ゆり子的なものと非石田ゆり子的なものの2つに分けた時、私は石田ゆり子側にいるんだ。」

 

こう思うことで、地に叩きつけられた気持ちも、ほんの少しだけでも宙に浮くことができたんです。

20代での落ち込みなんて、ほとんどが恋愛や容姿にまつわることでしたから、この言葉のおかげで私はなんとかやってこれたと言っていいかもしれません。

 

すでに誰かの「村人A」であること、これから「村人A」になれること

こんな風に、勇者として村人Aの言葉を思い出す私ですが、私が誰かにとっての「村人A」であった可能性も、もちろんあるわけです。

私のことなんてすっかり忘れている誰かにとっても、もしかしたら私の言葉だけは、彼らのどこかに刺さり、いまだに彼らを温めているのかもしれない

そう考えるとほんとに心から優しい気持ちになることができます。

 

そしてこれからも、こうして言葉を置き続ける限り、その可能性は広がっていきます。

その可能性を思うだけで、書き続ける勇気が湧いてくるのです。