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カリノ界隈

フリーライターカリノのブログです。

「anan」 ”官能の流儀” 高橋一生ヌード買いました。

雑記

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先日、「an・an」を買いました。もちろん、高橋一生のヌード目当てです。彼を初めて知ったのは、ドラマ「僕のヤバい妻」でした。その時も「すっごい色っぽい俳優だな」と思ったんですが、今放送している「カルテット」高橋一生はもっとヤバい。そりゃ「an・an」も目をつけるよな、って感じです。
 
 

感想って苦手。とにかく私は保存版にします

で、感想なんですが。
 
私、書評って苦手なんです。本に限らず何に対してもそうなんですが、好きなものには「好き」としか言えない、いや、言いたくないという気持ちがあって。この胸の内にある、熱かったり温かかったり柔らかかったりどろんどろんだったりする塊は、「好き」としか言えないし、それ以外の言葉で語ろうとすると、こぼれ落ちてしまうものがたくさんある気がするんですよね。あと、感想を書いてるつもりが、いつの間にか自分語りになっちゃう。やってるみたいに。
 
でも、人の書いたものは喜んで読み漁るので、これはただの言い訳かもしれません。ライターとして、書くことに対する努力を放棄してはいけないよね。これからはすすんで書くように努力しようと思います。
 
とりあえず、高橋一生は裸もヤバイよ。なんで電子書籍版は、高橋一生特集抜きなんだ。
色褪せない彼を保存したいのに。夫の目からも隠しておきたいのに(切実)。仕方ないから、今はキッチンの料理本の間にはさんであるけどさ。
 

でも別に欲情はしないんだ

昼間は1人で家にいるので、仕事の息抜きにパラパラ眺めるというのを繰り返してます。何回見ても「キャー」ってなる。でも、これは欲情とは別なものなんですよね。こう、男の人と初めて抱き合った時の、お布団の中の湿度と温度を思い出して、懐かしい気持ちになったり。腕や脚の皮膚の下を走る腱の存在に憧れたり。「ふう」とため息が出るばかりで、ムラムラしたりは一切しない。
 
不思議だなあと思う。
 
昔、柴門ふみのエッセイだったかな?「幼い娘が女性の裸にばかり興味を持つ。レズビアンなのかも。」と心配する父親からの質問があって。それに対して、「それは普通。エッチなのは女の裸。男の裸なんて全然いやらしくない」って回答してて。私は、「そうか、これが普通なんだ!」って安心ていうか、納得っていうか、したんだけど。でも、なんでそういう風にできているのかっていうのは、全然わからないまま。そもそも、それが普通っていうのも、私と紫門ふみ(不確定)の間でしか言質とれてないんだけど。
 
いくつかの仮説はたてていて。
 
●完全な社会的刷り込み。呪い。男性社会においては「性=女性」という認識が強いため、女性自身もそれに引きずられている。
●乳房や腰のくびれのように、女性の方が大人になった時の身体変化がわかりやすい。「性=大人のもの」という意識が、女性のイメージに当てはめられやすい。
●性的好みが男性の方が視覚優先のため、ヌードといった視覚に訴えるものは男性向けの方が発展した。その発展が他のものと比較して著しく大きいため、「性=女性」という認識が広がり、女性自身もそれに引きずられている。
●女性の方が性的だと感じるのは、完全に個人の感覚による。共通認識ではない。
 
と、こんなことをぐるぐる考えていても答えは出ないんだけど。
楽しいからいいんだけど。
 
それにしても、こんな年になっても、相変わらずこんなことを考えてばかりいるとは思わなかったな。きっとずっとこんな風にどうしようもないことを考えて生きていくんだろう。
 
 「キャリアエッセイスト」の肩書を思いついたときは、「キャリア」って言っておけば、たいていのものはこじつけて書けちゃうだろうと思っていたんだけど、さすがにこんなことはこじつけも難しいかもしれないですね。「キャリア・セクシュアリティ・エッセイスト」に変えようかな。なんか、ジョジョのスタンド名みたいになってきたね。