カリノ界隈

フリーライターカリノのブログです。

書くことはこわい

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ライターになって半年が過ぎました。こうしてブログや記事など、何かしらを書くことが、日常になっています。書いていない時も、「何を書こうか」、「どんな風に書こうか」、「そもそも書くって何か」と、気づけば、考えることは「書く」ことにまつわることばかり。毎日毎日、「そうだった、そうだった。私、書くことが大好きだったんだ」と、思いを深めています。

書くことがこわかった

こうして書くことが中心になる生活は、初めてではありません。25歳から30歳の5年間も、今より何倍も、いつもいつもずっとずっと、書いてばかりいる毎日でした。正確に年月がわかるのは、この5年間がきちんとした恋人がいない期間だったから。

「また色恋の話か」と呆れられるかもしれませんが、ほんとその通りで、色恋に振り回された人生だったんですよね、私。この恋人ナシの5年間だって、仕事に打ち込んだり、キャリアを見つめ直したり、趣味を極めたり、海外に飛び出してみたり、美容に精を出したり、いろーんなことができたはずなのに、恋人の1人がいないだけで、何をする気にもなれなかったんです。

やっていたことと言えば、お酒を飲むことと、ひたすらポエムのような呪詛のような文章を書きなぐること。週末になれば、一緒に飲んでくれる相手を探して、もし見つからなければ一人で飲みに行って、翌日二日酔いの頭を抱えながら、お金にもならない文章をただただ書いて一日を終えるというのが日常でした。安っぽいありふれた悪夢みたいな日常。

だから、あれから10年たって、また書きはじめるのがこわかった。私にとって、書くことは痛みを伴うことだったし、そうでなければ、文章じゃないと思ってた。書いて書いて、自分を剥いて剥いて、中身をさらけ出さないと、書く意味なんてないと思ってた。

だけど、ライターとしての仕事は、そういうものではありませんでした。与えられたテーマがあって、その中で事実をわかりやすく整理し並べ、ほんの少しだけ自分の考えをにじませる。吐き出すためじゃなくて、伝えるために、言葉を丁寧に配置していく作業は、昔の私がしていた行為とは全くの別物。完成した原稿を眺めると、あるべきものをあるべき場所に美しく整理整頓した時のように、毅然として安らかな気持ちになります。昔の私が抱いていた、「こんな、みっともないものが私なんて」という暗澹とした高揚とは正反対です。10年ぶりにはじめた「書くこと」は、全くこわくありませんでした。

 

書くことは走ることに似てる

ライターの仕事は、きちんと道順が定められた都会のマラソン大会のようです。一緒に走る仲間がいて、叱咤激励してくれる応援者がいて、美しい街並みを見ながら、確実にゴールを目指す。だからと言って楽なわけではなく、調子がいいからと容易くスピードを上げれば、ペースが乱れて苦しい思いをするし、仲間がいくらいても自分の足で進まなければいけないし、時にはコースを見失うことだってある。

それに比べて、あの頃の私の書き方は、道も明かりもない薄暗い大草原を一人で走っているようなものでした。誰も見ていないだろうと、意味不明の雄たけびをあげたり、大笑いしたり、泣いてみたり、時には服を脱ぎ棄て、疲れればうずくまって。うんざりして自棄になって、おかしなステップを踏んでみたら、思いがけない方向から「それいいね」と声が聞こえて、その嬉しさだけを支えにまた走り出して。たとえその声が聞こえなくなっても、自分の荒い息が体中に響いて気持ちよくなったりして。

そうですね。昔の私の「書くこと」にも、こわさだけではなく、喜びもちゃんとありました。だから、ブログに書くことは、だんだんと昔の私みたいになってしまうんだろうな。あっちの喜びも、またほしいなあって。都会をみんなで走るのも、とてもとても楽しいけれど、でも、大草原を闇雲に走ることも忘れられない。

 

こわさを越えた先に醍醐味がある

こうしてブログに、自分にしか価値がないような文章を書くことはとってもとってもこわいです。ライターの仕事を通して、せっかく安らかな「書く喜び」を知ることができたのに、どうしてこんなことしなくちゃいけないのかな、と思います。自分の変わらなさに、呆れるし、うんざりするし、気持ち悪いです。

「意味がわからない」「くだらない」「つまらない」「凡庸だ」と、誰かの心の中で下される評価も、とてもとてもこわいです。でも、そんな恐怖の中、「いいかも」「好きかも」「わかるかも」と差し伸べられる光を、また味わいたいと思うのです。

つまらないと批判されて、「でも、これが私の全部じゃないんで」と言い訳できる文章ばかり書いていたくない。否定されたら、きちんと自分が打ちのめされるような文章を、書けるようになりたいのです。なぜなのかはわからないけど、私はそう思います。たぶん、私が書くことが大好きだから、なんでしょう。今のところ、それくらいしか理由が見つかりません。

とにかく、10年前の私が「もういいや」と投げ出してしまったものを、またすすんで抱え込むことを選んでしまったからには、行けるところまで抱えていきたいなあと今は考えています。