読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

カリノ界隈

フリーライターカリノのブログです。

ぶどうゼリーが教えてくれた親心

f:id:karino217:20170406121923j:plain

2歳娘の目下のお気に入りは、ぶどうゼリーです。
どんなに大泣きしている時も「ぶどうゼリー食べる?」と聞くと、涙をぬぐいながら「うん」と頷くさまは、本当にかわいい。

進行中のイヤイヤ期を乗り切るために欠かすことのできないぶどうゼリーですが、味方であると同時に、憎き敵でもあります。
一度「ぶどうゼリーモード」になった娘は、ぶどうゼリーが与えられるまで、手の付けられない暴君に化すのです。

迂闊にもぶどうゼリーを切らしていたりすれば、彼女の逆鱗に触れることは必至。
「ぶどぜりー!ぶどぜりー!」と涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしてひっくり返って泣きわめく姿は、母親ながらドン引きです
仕方なしに冷蔵庫に大量に残っている「グレープフルーツゼリー」を手渡してみても、「ぶどうゼリー以外ゼリーじゃないの!!」と言わんばかりに剛速球で投げ飛ばされ、火に油を注ぐ結果に。
こうなると「ぶどうゼリーさえこの世になければ!」と、あんなに頼みにしていた「ぶどうゼリー」が親の仇みたいに思えてきます。

そして先ほど生贄にした「グレープフルーツゼリー」も我が家のひそかな問題に。
娘お気に入りの「ぶどうゼリー」は、「グレープフルーツゼリー」とそれぞれ2つずつくっついた4連になって売っているため、彼女に拒絶された「グレープフルーツゼリー」は、日に日に冷蔵庫に蓄積されていくことになるのです。
かわいそうなグレープフルーツゼリー。
だからと言って、野獣のような2歳児に「好き嫌いせずにグレープフルーツゼリーを食べろ」と教育する労力を背負いたくありません。
にんじん食べさせるのだって、3カ月かかったのに。
そして、残念ながら父も母も、グレープフルーツゼリーがあまり好きではないんです。
代わりに食べてあげられなくてごめん、グレープフルーツゼリー。

自分が子供の頃、お菓子でもおかずでも、何かひとつを好きだと言うと、親がそればかりを出してくるのが不満でした。
確かにチョコパイはうまい。確かにちらし寿司は好物だ。
でもだからと言って、毎日おやつにチョコパイ、週末はちらし寿司じゃ、飽きるでしょ!たまにでいいのに、たまにだから美味しいのに、なんでわからないの!
なんて憤りながらも、「それは私を愛してるからこそ。私の喜ぶ顔が見たいからこそ」だと思っていました。
そんな親の愛情に対して「しかたないなあ」と、可愛らしさを感じていたものです。

でも、自分が親になって、あれは違ったんだと気づきました。
きっとあれは、多少は愛もあるだろうけど、「どうぞこれでご機嫌をなおしてください!お願いします!」という、荒ぶる神へのお供え物的な気持ちの名残りだったんだろうな。
「これさえあげておけばなんとかなる」「他の手段を考えるの、めんどくさい」という、今の私みたいな気持ちの名残り。

幼い頃、親っていうものは「100%親」だと思っていました。子供への愛情は、いついかなる時も揺らぎなく、いつだって自分より子供優先で、それで幸せを感じられるようにできているんだろうと思っていました。
だけど、自分も親になってみて、「親も人間だ」ということがよくわかるようになりました。半分以上は「親じゃない自分」でできてるし、子供への愛情の濃度は時によって揺らぐし、緊急時以外はだいたい自分優先です。

それでもまあ、ぶどうゼリーを頬張ってみせる娘の笑顔に対して感じる幸福感は、他のものではなかなか味わえないもので、「ああ、尊い」と手をあわせて拝みたくなるくらい愛おしいのも本当です。

ということで、娘の次のお気に入りができるまで、私はぶどうゼリー(と、グレープフルーツゼリー)をせっせと買い続けることになるのでしょう。
そして、それを幸せと呼ぶのに間違いはないのでしょう。

 

さて、これをお読みの貴方。もしグレープフルーツゼリーがお好きでしたら、喜んでお譲りしますので、ご一報ください
ただし、高級でもなんでもなく、4つで158円くらいのやつですので、あしからず。